TBSが公表した過去のセクハラ事案。被害者はアナウンサー、加害者は番組出演者。
時期はおよそ25年前から15年前。すべてが時効のように処理されがちなタイミングだけれど、今だからこそ浮かび上がる事実がある。
「加害者は誰だったのか?」
TBSは実名を出していない。でも、報告書の行間や、テレビ業界の構造を少しでも知っていれば、見えてくる“加害者の輪郭”はある。
それは、単なるセクハラ常習者ではない。“構造に守られた人間”だった。
今回は、TBSの報告内容から導き出せる「加害者の人物像」を、リアルな視点で深掘りしてみます。
1. 「注意されてもやめない」確信犯タイプ──“わかっててやってる”常習者
まず1件目と3件目の事案を思い出してほしい。
被害者は「嫌です」「やめてください」と明確に意思表示をしている。それに加えて、その場にいたスタッフも加害者を注意している。
普通なら、ここでやめるよね?
でも、加害者はやめなかった。
これは「軽く触れただけ」「悪気はなかった」なんて言い訳じゃ済まされない。はっきり言って“確信犯”だ。
この手の加害者は、「これまでもそうしてきたし、誰にも咎められなかった」という“成功体験”を積み重ねてきているケースが多い。
注意されても「また怒られちゃった」くらいで済むとタカをくくってる。
要するに、セクハラという行為の重さを理解していない、というより「知っていてもやめない」タイプ。
悪質度は高い。しかも、反省しない。
だからこそ、被害者は“声を上げることすら諦めた”のかもしれない。
2. 「番組にとって不可欠」な存在──スタッフも逆らえない“無言の支配者”
報告書に繰り返し出てくるキーワードが「番組出演者」。
しかも、注意はされたものの「出演は継続」。これはどういうことか?
端的に言うと、“番組側がその加害者を切れなかった”ということ。
想像してみてほしい。
視聴率が取れる人気MC。スポンサーがつく大物芸人。テレビ局とズブズブの付き合いを持つコメンテーター。
そういう人間がセクハラをしたとして、「今すぐ降板させましょう」なんて簡単に言える?
言えないのがテレビ業界のリアル。
しかも、それが“毎回現場にいる人”ではなく“上層部が特別扱いしている人”なら、なおさらスタッフは声を上げにくい。
「あの人に逆らうと後が怖い」「口出しすると自分が飛ばされる」──そんな空気が充満していた可能性は高い。
加害者は、自分の“使われ方”を理解している。
「自分は必要とされている」「替えは効かない」。
それが驕りになり、モラルのセーフティネットをぶち破る。
そして誰も止められなくなる。
3. 「裏の顔を持つ二面性」──カメラの外で豹変するタイプ
報告された事案に共通しているのは、加害行為の多くが“裏側”で起きているという点。
舞台袖、スタジオ、懇親会…。つまり、カメラが回っていない、表に出ない場所。
これはつまり、“表では好人物を装っている”ということ。
芸能界にはこのタイプ、めちゃくちゃ多い。
収録中は気さくで場を盛り上げる。スタッフにも丁寧。
でも収録が終わった途端、態度が豹変する。
「こっちは遊びでやってんだよ」「ちょっとくらい触っても平気だろ?」
そう言って笑いながら距離を詰めてくる。
空気を読んで笑わなきゃいけないような雰囲気にする。
拒否すれば“ノリが悪い”“女として終わってる”とバカにされる。
懇親会でのキスの強要もそう。
あれは「酔ってたから」とか「冗談でやった」とか、そういう問題じゃない。
場の支配権を握ってるからできること。
「その場にいたプロデューサーすら止められなかった」という事実が、加害者の“支配力”を物語っている。
4. 「昭和的価値観」をいまだに引きずる、“時代遅れな男”たち
TBSの報告書でも、はっきりと「当時はハラスメントの認識が甘かった」と認めている。
でも、その“当時”の意識がいまだに抜けていない人間は、残念ながら今も多い。
- 飲み会では一発芸とお触りがセット
- 若い女性に対する「軽口」がコミュニケーションのつもり
- 断られても「冗談だよ」で済ませる
そういう価値観でずっとやってきた人間は、自分の行為を「問題」として認識できない。
もっというと、「それくらいで騒ぐな」と被害者を逆に責める思考にすらなる。
加害者は、おそらく40代以上、当時でいえば業界の中堅〜ベテラン。
つまり、ハラスメントという言葉が広まる前から“好き勝手やってきた”人たちだ。
そして怖いのは、今も彼らが業界に残っている可能性があるということ。
5. 「被害者が話せなかった」現実が示す、“今も続く力関係”
「話すまでにかなりの時間がかかった」──報告書にあったこの言葉は、重い。
なぜ、今まで声を上げられなかったのか?
それは、相手が今もテレビに出ている。今も“業界で権力を持っている”からじゃないのか。
どんなに時代が変わっても、テレビ局の中には“触れてはいけない人間”がいる。
過去に問題を起こしていても、なぜか干されない。
むしろ後輩に偉そうに説教している──そんな現場、私たちは何度も目にしてきた。
だからこそ、今回の報告書の一文がリアルに響く。
「昔だから仕方ないという考えはやめていただきたい」
沈黙の理由は、加害者が“まだいる”から。
つまり、決して過去の問題じゃない。
■ 総括:「名前を伏せる」では済まされない、“人物像”の暴露
今回の報告では、加害者の名前は出てこなかった。
でも、浮かび上がってくる人物像は、あまりにも鮮明だ。
- 番組の主軸を担っていた大物出演者
- 注意されても態度を変えなかった確信犯
- カメラの外で横暴になる二面性の持ち主
- 昭和的価値観を今も引きずる“時代遅れな男”
- そして、今も誰かの隣で“何食わぬ顔”で笑っている可能性がある人物
私たちが問うべきは、名前を伏せることの是非だけではない。
こういう“構造的に守られた加害者”を、今後もテレビという公共メディアに出し続けていいのか?ということだ。
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