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織田友理子のwiki経歴は?結婚相手・彼氏は?子供はいる?

「難病=不自由」と思われがち。でも、彼女の生き方を知れば、その固定観念は軽く覆されるはず。

今回ご紹介するのは、進行性の筋疾患「遠位型ミオパチー」と向き合いながら、社会にインパクトを与え続けている女性――織田友理子さん。病気の診断、出産、車いす生活、海外留学、そしてアプリ開発……「え? それ全部1人でやってるの?」と驚かずにはいられません。

この記事では、織田さんの生い立ちから病気との闘い、パートナーとの関係や現在の活動に至るまで、ブロガー目線でぐっと深掘りしてみました。読み終えた頃にはきっと、あなたも「私も何か始めたい」と思っているはず。


目次

■1. 基本プロフィール|織田友理子さんってどんな人?

  • 名前:織田 友理子(おだ・ゆりこ)
  • 生年:1980年
  • 出身地:千葉県
  • 居住地:東京都
  • 肩書き:NPO法人ウィーログ代表理事、バリアフリー活動家、アプリ開発者
  • 病歴:遠位型ミオパチー(空胞型)

千葉県で育ち、学生時代はごく普通の女の子として青春を楽しんでいたという織田さん。しかし20代に入ってから、少しずつ身体に違和感を覚えるようになります。「疲れやすいな」「階段がきついな」――そんな日常の小さな“ひっかかり”が、のちに彼女の人生を大きく揺るがす診断へとつながるのです。


■2. 22歳で宣告された「遠位型ミオパチー」という現実

2002年、22歳で診断された「遠位型ミオパチー」。筋肉が少しずつ衰えていく進行性の難病で、特に末端(遠位)から弱っていくのが特徴。現在も治療法は確立されておらず、彼女のタイプである「空胞型」は国内でも患者数が約400人という希少疾患です。

最初は少しの歩行困難から始まり、2005年には車いす生活へとシフト。けれどその流れの中でも、彼女は人生を止めなかったんです。


■3. 出産という人生の転機と“母”としての顔

診断から数年後の2005年、織田さんは第一子を出産。これが彼女の人生において大きな転機となります。出産後、筋力の低下が加速し、完全な車いす生活となったといいます。

ただ、ここで特筆すべきは「病気だから母になれない」ではなく、「病気でも母になる選択をした」という点。もちろん簡単な道ではなかったはずですが、それでも子どもと向き合い、自分らしく育児を続けてきた姿は、同じ立場の母親たちに大きな勇気を与えています。


■4. 結婚相手・パートナーとの関係|支え合う夫婦のかたち

さて、ここで多くの人が気になるであろう項目に入っていきましょう。

■結婚相手について

織田友理子さんは、病気の診断を受けた数年後に結婚しており、出産・育児を共にしているパートナーがいます。一般人のため詳細なプロフィールは公開されていませんが、彼女のSNSやインタビューを通じて見えてくるのは、“献身的に支えるパートナー”の存在です。

育児や介助の場面では夫の協力が欠かせず、「夫と一緒だからできたことも多かった」と語っている姿も印象的でした。特に車いす生活になってからは、日常の中で物理的なサポートが必要な場面も増えたはず。しかし彼は“介助者”というより“対等なパートナー”として、織田さんの人生をともに築いてきたのです。

■恋愛観や夫婦のかたち

織田さんは、自分のことを“障害者”として語ることをあまり好みません。それは、恋愛や夫婦関係においても同じで、「一人の人間として、人生を共有したい相手と出会った」という自然体の姿勢を感じさせます。

彼女が発信しているメッセージの中には、こんな言葉もありました。

「障害者だから結婚できない」「恋愛できない」というのは、“社会の勝手なイメージ”だと思います。

この言葉が、どれだけ多くの人を励ましてきたことでしょう。


■5. 「PADM」患者会で204万筆の署名を集める

2008年、織田さんは「PADM(遠位型ミオパチー患者会)」を立ち上げます。目的はただ一つ――この病気を国の指定難病にしてもらうこと

彼女は全国を飛び回って署名活動を展開し、その数は最終的に204万筆に到達。これが厚労省を動かし、2015年には「遠位型ミオパチー」が晴れて難病指定されるに至りました。

いち患者が、国の制度を変えた――この事実だけでも、彼女のバイタリティが尋常じゃないことが伝わるはずです。


■6. デンマーク留学で見つけた「本当の共生社会」

2010年には、福祉大国デンマークへ留学。車いす生活での海外挑戦って、普通なら無理だと思いますよね? でも織田さんは違いました。

福祉現場のリアルを学び、「誰もが当たり前に街を歩ける社会」の在り方を肌で感じた経験は、彼女の後の活動に大きく影響を与えます。


■7. アプリ「WheeLog!」が世界を変える

2017年にリリースされた「WheeLog!」は、まさに彼女の思想が詰まったアプリ。車いす利用者が実際に通れたルートや施設情報を地図上で共有できる仕組みで、「バリアフリーのリアルな口コミサイト」として注目を集めました。

このアプリはGoogleインパクトチャレンジのグランプリに輝き、のちに国際的な賞も多数受賞。今や世界中の障害者とその家族を支えるツールとなっています。


■8. 現在の活動とこれから

現在も、NPO法人ウィーログ代表理事としての活動を中心に、講演、テレビ出演、自治体との連携など幅広い分野で活躍中。2024年には「Public of the Year 2024」の学術・文化部門も受賞。

「苦労を語るより、希望を共有する」――彼女の言葉と行動は、今日もどこかで誰かの人生を前向きにしていることでしょう。


■まとめ|“できない”より“どうやってやるか”を考える人

織田友理子さんの人生は、“難病”というフレーズでは語り尽くせないドラマの連続です。彼女は弱音を吐かない強い人ではなく、悩みながらも一歩ずつ進む“普通の人”。でもその姿勢こそが、私たちにとっての希望になるのです。

パートナーと支え合い、母として、社会活動家として、エンジニアとして、そして一人の女性として生きる彼女の姿は、まさに「今を生きるヒント」そのもの。

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