元フジテレビアナウンサー・近藤サトさん。テレビの画面に映る彼女のグレイヘア(白髪)は、もはや“スタイル”として定着しています。でも、そんな近藤さんに対して、未だにネットやSNSではこんな声があるのも事実です。
「黒髪の方が若く見える」
「白髪だと老けて見える」
「なんであえて老けて見える道を選ぶの?」
このような“無意識の偏見”に対し、近藤サトさんは一体どんな思いを抱き、そしてどのように自分の道を選んだのか。この記事では、そんな彼女の決断の背景と、社会が抱える「美しさ」の固定観念について深掘りしていきます。
1. 白髪染めとの20年以上の付き合いと葛藤
まず大前提として、近藤さんが若い頃から白髪に悩んでいたということを、知らない人も多いかもしれません。20代後半から白髪が出始め、以来20年以上、3週間に1度のペースで染め続けていたそうです。
仕事柄、メディアに映る機会も多かった彼女は、当然のように「染めるしかない」と思っていました。アナウンサーやナレーターといった職業には、「清潔感」「若々しさ」「端正な外見」などが無言で求められます。その期待に応えるように、彼女は染め続けていたのです。
でも、それが「自分の意思」であったかというと…実はそうでもなかった。
2. 東日本大震災がもたらした“気づき”
そんな中で訪れた、2011年3月11日。東日本大震災。
非常持ち出し袋を準備していたとき、彼女はふと、こう思ったそうです。
「この状況で、私は白髪染めを持っていこうとしている。こんな非常時に、髪の色を隠す必要って、本当にあるの?」
この瞬間、彼女の中で何かが崩れました。白髪を染めるという行為が、もはや“自分を守る行動”ではなく、“他人の目を気にして生きてきた自分の象徴”であることに気づいてしまったのです。
3. 白髪染めをやめるという“決意”
震災をきっかけに、近藤さんは白髪染めをやめる決意をします。でも、それは簡単な道のりではありませんでした。
白髪と黒髪の境目を隠すためにスプレーを使ったり、根元を見せないように髪型を工夫したり…。完全にグレイヘアになるまで、実に3年近くかかったそうです。
その過程には「もうやっぱり染めようかな」と悩む時期もありました。でも、彼女は染めなかった。なぜなら、それが“自分の意思で選んだ姿”だったからです。
4. 「黒髪の方が似合うのに」という声と向き合う
さて、ここで本題です。近藤さんのグレイヘアに対して、未だに多いのが「黒髪の方が似合ってたのに!」という声。
確かに、テレビに出ていた頃の彼女は、黒髪のショートボブでとても品があり、若々しく見えていました。それを懐かしむ声があるのも分かります。
でもその声の裏には、「似合う=若く見える」「老けて見える=ダメ」という価値観が潜んでいませんか?
本人の選択よりも、若さの演出を重視する。そこには、「女性は若く、美しくあるべきだ」という無意識の偏見が、未だに根深くあることを浮き彫りにしているように思います。
5. 「老けた」のではなく「本来の自分になった」
近藤さん自身は、グレイヘアにしてから「人生で一番モテている」と語っています。これは、年齢や髪色で評価される“外見”ではなく、“内面からにじみ出る自信や落ち着き”に人が惹かれているということ。
彼女はこうも言っています。
「白髪を隠すのをやめたら、若さへの未練も消えた。」
この言葉が本当に刺さりますよね。彼女は“若さ”という幻想を手放すことで、自分らしさを取り戻し、本当の意味で美しくなったのかもしれません。
6. 自然体でいることの強さと、周囲への影響
近藤さんの姿勢に影響を受けた女性は少なくありません。SNSでは「私も白髪染めをやめてみようかな」「近藤サトさんを見て勇気が出た」という声も多数。
テレビに出る人が白髪でいるというだけで、これほどまでに話題になること自体、社会が「白髪=ネガティブ」と刷り込まれていた証拠です。
彼女はその既成概念に風穴を開けた。それも、自然体のまま、穏やかに。
7. 「美しさ」は“演出”じゃなく“ありのまま”である時代へ
今は「美魔女」や「アンチエイジング」といったワードがメディアで頻繁に登場します。でも、その裏側には、「老い=避けるべきもの」という意識があります。
近藤サトさんは、その風潮に真っ向から異を唱えたわけではなく、「私はこうしたい」と静かに自分を貫いただけ。
でも、その静かな意思表示が、同調圧力の強い日本社会では、ものすごく大きなインパクトを持ったのです。
8. それでも「黒髪が好き」と思うあなたへ
最後に。「それでも私は黒髪の近藤サトさんが好きだった」と思う人もいるでしょう。それはそれで正直な感想だと思います。美意識は人それぞれですし、“若く見える美”に惹かれるのも当然。
でも、彼女が選んだグレイヘアもまた、「美」の一形態。いや、むしろ「生き方そのものを表現したスタイル」と言えるのかもしれません。
「似合うかどうか」より、「自分で決めたかどうか」が大切な時代。白髪も、黒髪も、金髪も、坊主も、“自分で選んだ”という事実が、何よりも尊い。
まとめ:白髪は「恥」じゃない、「個性」だ
近藤サトさんが選んだグレイヘアは、美容の話ではありません。社会の価値観に対して、静かに“NO”を突きつけた、人生の選択なのです。
・「女性はいつまでも若くあるべき」
・「白髪は隠すもの」
・「老けて見えると損をする」
そんな呪縛を、彼女は軽やかにほどいて見せました。
グレイヘアは、弱さではなく、強さの象徴。彼女の生き方は、多くの人にとって“自分らしさってなんだろう”と立ち止まるきっかけになっているはずです。
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