今回は、知る人ぞ知る、しかしその“人間力”でじわじわとファンを増やしている現役力士・若戸桜(わかとざくら)関に注目してみました。
どんな人物なの?どこ出身?何がすごいの?――そんな疑問に答えるべく、プロフィールから逸話まで、どっぷり掘り下げてみたいと思います!
■ 本名と年齢・生年月日
若戸桜関の本名は澤田剛(さわだ つよし)さん。
福岡県北九州市若松区のご出身で、1992年2月24日生まれ。2025年現在で32歳になります。
相撲界ではかなりのベテラン世代。中卒で角界入りしたとなると、もうキャリアは18年超え。長い間、序ノ口・序二段の番付を守り続けているという、ある意味で“継続の鬼”とも言える存在です。
■ 所属部屋は式秀部屋!個性派軍団の一角
彼が所属するのは、茨城県龍ケ崎市にある「式秀部屋」。
元・幕内力士である**北桜(現・式秀親方)**が率いる、ちょっと変わった部屋で知られています。
式秀部屋は一言で言うと、
“相撲版・ユニーク人材の集まるサロン”
若戸桜関もその中核メンバーのひとりで、部屋のモットーは「明るく・楽しく・元気よく」。力士たちは、それぞれの個性を活かしながら自分らしい相撲道を突き進んでいます。
■ 四股名の由来と変遷:若戸大橋から若戸桜へ
若戸桜関の四股名は、デビュー当初の「澤田」から、
「若戸大橋」→「若戸桜」と、地元愛あふれるものへと変化。
「若戸」はもちろん、出身地・北九州市若松区と対岸の戸畑を結ぶ、あの有名な「若戸大橋」から。
そして「桜」は、北九州の春の象徴でもあり、日本人の心の花。
この四股名には、「郷土を背負って咲き続けたい」という強い思いが込められているのです。
■ 体格・初土俵・最高位
さて、肝心のフィジカルデータも見ていきましょう。
- 身長:184.5cm
- 体重:160.5kg
- 初土俵:2007年3月場所(当時15歳!)
- 最高位:序二段三枚目
体格は文句なしの重量級。幕内上位に比べれば小柄ではありますが、下位では十分すぎる迫力を持っています。若戸桜関の相撲は、「押し」も「寄り」も一発の重さがあると言われています。
■ 戦績と近況
通算成績は以下のとおり。
- 294勝417敗7休(勝率:約41.3%)
決して華やかな勝率ではありませんが、「継続して土俵に立ち続けている」ことの価値は計り知れません。
直近の7場所では22勝24敗とやや苦戦気味ながらも、内容は年々改善されています。
技の切れ味や体のさばき方が格段に洗練されてきているのです。
■ 若戸桜関を有名にした「心ある取組」
2023年11月場所での出来事。
相手が土俵際で足を滑らせて不自然に倒れたとき、若戸桜関は迷うことなくすぐに駆け寄り手を差し伸べたのです。
これがSNSで「美しい行動」と拡散され、テレビやネットニュースでも取り上げられました。
「あれが本当の“礼に始まり礼に終わる”だよな」
「人間力士って感じで応援したくなる」
――そんな声が相次ぎ、地味ながら確実にファン層を広げるきっかけとなりました。
■ 式秀部屋での姿:キャラ立ち力士?
式秀部屋には、“プロレスラー志望から転向した力士”“柔道出身の色白イケメン力士”などなど、多様なメンバーが揃っていますが、中でも若戸桜関は「ものまね侍」なる異名を持っています。
お笑いセンスもピカイチで、部屋の中ではムードメーカー的存在。新弟子の相談役や、相撲体験イベントの進行役もこなすなど、まさに“裏方もできる力士”。
■ 趣味・食べ物・オフの顔
福岡出身ということもあり、ラーメンには一家言あり。
特に豚骨ラーメンには目がないとのことで、帰郷のたびに“お気に入りの一杯”を必ず巡るんだとか。
趣味はゲームや音楽。意外にも、家ではかなりのインドア派。
「相撲=武骨で寡黙」というイメージを覆す、優しさとユーモアの塊のような人柄です。
経歴は?
■ 福岡県北九州市若松区で育った少年時代
若戸桜関こと**澤田剛(さわだ つよし)**さんが生まれ育ったのは、福岡県北九州市若松区。港町特有の潮風の香るこの街で、彼は1992年2月24日に誕生しました。
北九州といえば、工業都市の顔を持ちながらも人情味のある土地柄。そんな場所で育った剛少年は、幼いころから体が大きく、食べることが大好きな子どもだったそうです。
スポーツも活発で、小学校の頃には地元の柔道教室や相撲大会に参加することもあったといいます。地元では「おおらかで優しい剛くん」として知られていたそうですよ。
■ 相撲との出会い、そして中学卒業と同時に角界入り
若戸桜関が本格的に相撲の世界を目指したのは、中学時代。周囲の勧めや自身の体格への自信もあり、「もっと強くなりたい」「一流になりたい」という思いから、中学卒業と同時に角界入りを決意。
2007年3月場所、わずか15歳にして式秀部屋に入門し、初土俵を踏みます。
このときの四股名は本名の「澤田」。まだ少年らしさが残る顔立ちの彼が、まわし一丁で土俵に上がる姿は、まさに“大相撲という別世界”への第一歩でした。
■ 式秀部屋という「人間を育てる場所」での成長
彼が所属する式秀部屋は、元・幕内力士の北桜(現・10代式秀親方)が師匠を務める部屋。茨城県龍ケ崎市にあるこの部屋は、相撲界でも異色の存在として知られています。
というのも、式秀部屋は単なる「勝負至上主義」ではなく、弟子たちの個性を尊重し、メンタルケアにも重きを置く部屋。うつ病経験のある力士を支えたり、SNSでの発信を許可したりと、まさに“現代的な相撲部屋”。
そんな式秀部屋において、若戸桜関はムードメーカーかつ相談役的存在として、長年部屋を支え続けてきました。後輩たちの練習相手を務めるのはもちろん、稽古の合間には冗談で空気を和ませることも。
式秀親方からも「彼の存在が部屋のバランスを保っている」と一目置かれているそうです。
■ 四股名の変遷に込められた“地元愛”
四股名にも彼の人柄がにじみ出ています。
デビュー当初は本名の「澤田」で土俵に上がっていたものの、しばらくして四股名を「若戸大橋」へ変更。これは、故郷・若松区と戸畑区を結ぶ象徴的な赤い橋、「若戸大橋」からとられたもの。
さらに、2021年には四股名を現在の「若戸桜」に改名。「若戸」という地名を残しつつ、「桜」は日本の美しさ・潔さ・誇りの象徴でもあり、力士としての心構えを表すような名前です。
「自分のルーツである若松を、桜のように誇らしく咲かせたい」
という想いが込められているとも言われています。
■ 地道に積み上げたキャリア:勝敗以上の価値
若戸桜関の通算戦績は、294勝417敗7休(2025年4月時点)。
決して華々しい勝ち星ではありませんが、驚くべきはその継続力と根気です。
15歳で土俵に上がって以来、18年にわたり相撲を続けてきたという事実。それだけでも、実はものすごいことなのです。
特に序二段という下位の世界では、モチベーションの維持が非常に難しい。給料も出ず、苦しい稽古の日々。それでも相撲を辞めず、前を向き続ける――そんな力士がどれだけいるでしょうか?
若戸桜関はまさに、“好きだからこそ続けている”本物の力士なのです。
■ 2023年11月場所での「美しき一幕」
経歴を語るうえで外せないエピソードがあります。
それが、2023年11月場所でのある取り組み。
序ノ口での一番、対戦相手が足を滑らせて崩れ落ちた際、若戸桜関はすぐに駆け寄り、相手の体を支えてあげたのです。
勝敗が決まった直後とはいえ、まるで礼に始まり礼に終わる武道の精神を体現したかのような一瞬。
この様子は観客や関係者の心を打ち、SNSを中心に「心ある行動」「こんな力士がもっと評価されるべき」と絶賛されました。
■ 生活と素顔:式秀部屋での毎日
式秀部屋での彼の生活は、非常に規則正しいもの。
早朝稽古、ちゃんこ番、掃除、後輩の指導……。そうした地味で地道な日々を、真面目にコツコツとこなしています。
さらに特筆すべきは、人懐っこさとお笑いセンス。部屋では「ものまね侍」と呼ばれるほど芸達者で、宴会では司会進行から場の盛り上げまで何でもこなします(笑)
力士としてだけでなく、「人間として魅力がある」――それが若戸桜関の強みでもあるのです。
■ 今後の夢と展望
若戸桜関の夢は、「幕下昇進」。長年相撲を続ける中でも、彼はまだその夢を諦めていません。
年齢的にはベテランの域ですが、本人はいたって前向き。
「体のケアと稽古の質を上げれば、まだまだいける」という気迫を感じさせます。
また、引退後の夢についても語ったことがあります。それは――
「地元・北九州に相撲の魅力を伝えられるような活動をしたい」
まさに“相撲と地元をつなぐ懸け橋”のような存在になる日も、そう遠くないのかもしれません。
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