唯一無二の歌声、張り裂けるような感情を込めた歌詞、そして深く刺さる世界観——。
鬼束ちひろという名前を聞けば、2000年代初頭に青春を過ごした世代の多くは、間違いなく何かしらの記憶がよみがえるはず。
でも、それと同時に思い浮かぶのが「奇行」「問題発言」「救急車事件」…といった、音楽以外で注目されてしまった数々の行動。
今回は、そんな鬼束ちひろさんの“奇行”とされるエピソードを、ひとつずつ紐解いていきます。
ただの炎上ではなく、彼女の深い孤独や感受性がにじむその言動の裏側まで、ちょっとだけ覗いてみましょう。
1. Twitterでの暴走|「和田アキ子が嫌い」事件
まずは、2012年に巻き起こった“Twitter暴走劇”。これ、本当にインパクトが強かった。
突然、鬼束さんのTwitterアカウントに投稿されたのは、
「和田アキ子が大嫌い。殺してやりたいくらい大嫌いだ。」
という、あまりにも直接的すぎる発言。言葉が過激すぎて、多くのファンが「何が起こったの!?」とざわついた。
しかも、その矛先は芸能界のドン的存在とも言われる和田アキ子さん。
ネットニュースは一斉に報じ、鬼束さんの名前は「歌姫」ではなく「問題児」として広まってしまった。
その後も、
「人間のふりがつらい」
「心療内科の薬が合わなかった」
「私の命は、ずっと誰かに食べられていた」
といった、精神的に追い詰められているようなツイートが続々と投稿され、ファンとしては心配と混乱が入り混じる事態に。
最終的にアカウントは削除され、本人も精神的に不安定な状態だったことを認めました。
この事件をもって、世間では“鬼束ちひろ=奇行の人”というイメージが定着してしまった気がします。
けれど、あの投稿をただの暴言として切り捨てるのは簡単だけど、もしかすると「助けて」のサインだったのかもしれません。
2. テレビ出演時の“異世界感”|生放送でもマイワールド全開
次に注目すべきは、テレビ番組で見せた“マイワールド”っぷり。
とにかく一言で言うと、「常識にとらわれない」。
というより、もはや「この人、地球に住んでないのでは?」というレベルの個性。
例えば、2000年代の音楽番組で彼女が出演した際、普通なら曲紹介やMCとの軽いやり取りがあるはずが、彼女は突然“無言”。
もしくは、笑い出す。しかも、何が面白かったのか誰にも分からない。観客も「???」。
衣装も、時にはゴシックロリータ調だったり、メイクがかなり独特で、まるで別の次元から現れたアーティスト。
メディア慣れしていないというレベルを超えて、“テレビという空間に収まりきらない何か”を放っていた。
そして何より、曲が始まるとその雰囲気が一変。鋭い目つき、震える声、魂の叫びのようなパフォーマンス…。
「奇行」と片付けられる一方で、「鬼束ちひろにしかできない空気感」があったのは事実。
それは、ただの“変わり者”ではなく、“芸術家の孤独”だったのかもしれません。
3. 2021年・救急車破壊事件|表に出た「怒りのエネルギー」
そして忘れてはならないのが、2021年に世間を騒がせた“救急車蹴り事件”。
東京・渋谷で、友人が倒れたため救急車を呼び、同乗して病院へ向かっていた鬼束さん。
しかし、病院の対応に納得がいかなかったようで、感情を爆発させ、ついには停車中の救急車を足蹴に。
結果、ドアがへこむなどの損傷を与えたとして、器物損壊の疑いで現行犯逮捕——。
報道では「鬼束ちひろ、逮捕」の文字が並びました。
この件について彼女は、後日コメントを出して謝罪。精神的なコンディションや、現場でのストレスなども関係していたようです。
個人的には、これもまた鬼束さんの“感情を全身で表現する性質”が裏目に出てしまった例だと感じます。
彼女にとって、「怒り」も「悲しみ」も「優しさ」も、すべてが等しく強烈なエネルギーなんだろうなと。
4. 鬼束ちひろという“矛盾の化身”|その奇行は「本音」だった?
ここまで読むと、「なんでそんなに問題起こすの?」と思う人もいるかもしれません。
けれど、少しだけ想像してみてください。
鬼束ちひろのように、繊細で、傷つきやすくて、でも圧倒的な才能を持って生まれた人が、この社会に馴染むのは本当に大変だったはず。
曲の中では叫べても、現実世界ではうまく言葉にならない——そんなジレンマが、彼女を“奇行”へと走らせたのかもしれない。
彼女の発言や行動は、常に不器用で、時に過激で、時に支離滅裂。
でもその裏には、ものすごくピュアな「本音」や「叫び」が隠れているような気がしてならないんです。
まとめ:奇行か、表現か。その境界線を生きた歌姫
鬼束ちひろの“奇行”とされる行動の数々——。確かにそれは時に理解不能で、時に世間を驚かせてきました。
でも、その一つ一つを丁寧に見ていくと、「奇行=狂気」ではなく、「奇行=本気」だったのでは?と思えてきます。
鬼束ちひろという人は、ただ“変わっている”のではなく、社会のルールにうまくフィットできなかった“天才”なんだと、私は思います。
また彼女の歌声を、心の叫びを、いつか聴ける日が来ることを願って——。




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